アルツハイマー型認知症の発症から看取り
![]() 私の母親にまつわる10年の経験 今回、表題の内容について、私の母親にまつわる10年の経験を話させていただきました。アルツハイマー型認知症を患った方がどのような経過を辿るのか、「人の数だけ道筋がある。」と思いますので、一例として参考になればという思いでした。また、家族や支援者が考えてしまう事の1つに、「いつまで気持ちが通じ合うのだろうか。」というのがありますが、その答えを自分なりに共有したいという思いもありました。 アルツハイマー型認知症の経過
![]() 発症から看取りまでの経過 63歳から受話器に貼るメモの量が増え、認知症を家族が疑い始めました。そこから受診して診断が下るまでに2年、自分で料理をしなくなったり自転車に乗らなくなったりするまでに2年。5年目からは徘徊が始まり、ワサビをお茶で溶かして飲むなどの異食、尿失禁や便失禁が見られ、介護に費やす労力が増え始めました。 途中、入所施設を検討しましたが「今まで世話になった分を返したい」という父の意向で、父が看ることのできる間は在宅支援を続けようとなりました。年々、食事量や体重が減っていき、10年目の夏に脚の動脈が詰まったことで、様々な機能障害が見られ入院となりました。延命処置を行うかどうか、最後をどこで迎えるか家族で相談し「延命処置はせず自宅で」となったため環境を整え、亡くなる直前の1週間を自宅で過ごしました。 ![]() 母の経験を通して改めて考えたこと 「いつまで気持ちが通じ合うのだろうか」という思い 私は高齢者福祉の分野で勤めていた時期があります。当時、アルツハイマー型認知症を患う方の対応をしていくなかで、冒頭のように「いつまで気持ちが通じ合うのだろうか」と考えずにはいられませんでした。だんだん気持ちがすり減っていく感覚があり、人としての関わりに乏しく作業化してしまう事がありました。苦い思い出です。では、母親の場合はどうだったのか。最後の瞬間まで家族や兄弟を覚えていました。見覚えのない人に対しては表情が険しく目もくれず、見覚えのある人に対しては視界に入るように目で追っていて、それが家族や兄弟でした。唯一、それ以外で明るい表情になったのがデイサービスのある職員さんでした。その職員さんは、母の昔話を熱心に聞いてくれていたようです。 表情の変化を見て受けた衝撃 母親の表情の変化を間近で見て、以前自分に向けられていたのはこれだったのかと衝撃を受けました。老若男女を問わず、強い感情をともなうと記憶に残りやすいですが、認知症の場合も例外ではないと感じました。当時、私が関わっていた利用者様たちは、良くも悪くも私に対して強い感情を抱けず、見慣れぬ環境で不安に感じていたということです。コミュニケーションの基本だとお叱りを受けそうですが、これまでの人生で相手が何に情熱を注いできたのか、関心を持って紐解いていくのを粘り強く続ければおのずと繋がりを意識してもらえるのだと改めて勉強させていただきました。 《文責》法人事務局 |
認知症
認知症とは、一度正常に発達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続的に低下し日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態を指す。
今後も高齢化が進み認知症の人は増えていくことが予想され、2025年現在では65歳以上の人口の約20%が認知症を有している状況になると推定されている。認知症では、物を覚えられない、今までできていたことができなくなるといった認知機能の低下による症状ばかりでなく、怒りっぽく攻撃的になる、意味もなく徘徊(はいかい)するなどの症状もみられる。 アルツハイマー型認知症
アルツハイマー型認知症は、何らかの原因で脳にアミロイドβという特殊なたんぱく質がたまり、それが神経細胞を破壊して脳が萎縮することで発症する。発症後は時間の経過と共に脳の萎縮が進み、それに伴い症状も徐々に進行する。
アルツハイマー型認知症の初期症状は、多くの場合物忘れで自覚されることが多い。しかし「年のせいかな?」「疲れているのかな?」と自分を納得させて、受診を躊躇するケースは少なくない。また日や相手によって症状の出現に波があるため、家族も「なんとなくいつもと違うな…」と違和感を抱きつつ受診を先送りする場合がある。その結果、認知症の症状がそのまま進行すると、記憶は近い時期から徐々になくなっていく。そして徘徊、失禁、性格の変化などが現われ、最終的には日常生活全般において介護が必要な状態となる。 会員発表
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