このページでは、支部の活動紹介ならびに少林寺拳法と関連のあるテーマについて、指導者が執筆しています。
少林寺拳法
神戸学園東町スポーツ少年団支部

 神戸市大会や昇級/昇段試験等の活動紹介と少林寺拳法の思想に関連するテーマについての支部長コラムです。
活動紹介 −神戸市大会・昇級試験などのトピックス−
<24年3月 中学校卒業 >
 本支部が5年前に開設されたときから参加していた1期生の4人が,この3月で中学校を卒業し,それぞれ別々の高校に進学し新たな道を歩んでいくことになりました。
 この4人は小学校の5年生から新入門として参加したわけですが,約5年間という長い間,弛むことなく真面目に活動してくれたことは,本当に感謝しています。この4人の真摯な態度が,支部全体の雰囲気や後輩たちに与えた良い影響はとても大きいからです。ありがとうございました。高校に進学してからも様々な試練に真摯に向き合い,良き大人として成長していってくれることを望みます。卒業おめでとうございます。

<24年2月 昇級試験>
 2月12日に,神戸市中央体育館で,昇級試験が実施され,佐藤真名さんが5級,畑中優花さんが7級に合格しました。おめでとうございます。

<24年1月 昇段試験>
 1月21日に,姫路の県立武道館で,昇段試験が実施され,秋田茉夏さんが初段に合格しました。おめでとうございます。

<23年11月 昇級試験>
 11月3日に,神戸市立中央体育館で,昇級試験が実施されました。吉川詩乃さんが6級,畑中康汰さん,吉川太惺さん,小窪稜生さんが5級,川田莉紗さん,小窪栞菜さん,市川慧さんが3級,川田怜奈さん,松口幸ノ介さんが2級に合格しました。おめでとうございます。

<23年10月 神戸市大会>
 10月1日(日)に神戸総合運動公園グリーンアリーナ体育館で神戸市大会が行われ,単独演武,相対でおこなう組演武と,今回はじめて少年部のメンバーによる団体演武に出場しました。残念ながら入賞はできませんでしたが,来年,もう一度挑戦したいと思います。

<23年9月 昇級試験>
 9月18日に,神戸市立中央体育館と東町小学校で,昇級試験が実施されました。今回は佐藤真名さんが6級,畑中優花さんが8級,それに一般1級に佐藤創作さんが合格しました。おめでとうございます。

<23年7月 清掃活動>
 東町小学校横の公園の清掃活動に吉川詩乃さん,吉川太惺さん,市川慧さん,川田莉紗さん,川田怜奈さん,松口幸ノ介さんの6人がボランティアで参加しました。皆さん,酷暑の中,刈り取った草を集めてくれてありがとうございました。協力に感謝します。

<23年4月 昇級試験>
 神戸市立中央体育館と東町小学校で昇級試験が行われ、吉川詩乃さんが7級,小窪稜生さん,畑中康汰さん,吉川太惺さんの3人が6級,市川慧さん,川田莉紗さん,小窪栞菜さんの3人が4級、川田怜奈さんと松口幸ノ介さんが3級,秋田茉夏さん,本洋介さん,仁賀悠斗さん,福間哲太さん,松口真太朗さんの中学生5人がそれぞれ1級に合格しました。おめでとうございました。中学生の5人は,次回がいよいよ初段受験です。

<22年11月 昇級試験>
 神戸市立中央体育館と東町小学校で昇級試験が行われ、吉川詩乃さんが8級,小窪稜生さん,畑中康汰さん,吉川太惺さん,和田悠杜さんの4人が7級,市川慧さん,川田莉紗さん,小窪栞菜さんの3人が5級、川田怜奈さんと松口幸ノ介さんが4級,秋田茉夏さん,本洋介さん,仁賀悠斗さん,福間哲太さん,松口真太朗さんの5人がそれぞれ2級に合格しました。おめでとうございました。

<22年10月 ハロウィンオンラインキッズ交流会>
 10月22日に,市役所支部に協賛する形で,オンラインキッズ交流会が実施され,支部から9人が参加し,ゲームやクイズに参加しました。ふだん交流のできない海外の支部や他県の支部とも交流できて楽しい会になりました。

<22年10月 神戸市大会>
 10月16日に3年ぶりの神戸市大会が総合運動公園サブアリーナで実施され,本支部からも14人が参加しました。予選があったメンバーでは単独演武の低学年の部で,小窪稜生さんと和田悠杜さん,一般の部で秋田茉夏さんが予選を勝ち抜いて本選に進みました。また,組演武の高学年の部で,福間哲太さんと市川慧さんの組が敢闘賞を受賞しました。おめでとうございました。

<22年7月 昇級試験>
 神戸市立中央体育館で昇級試験が行われ、福間哲太さんが3級に合格し茶帯となりました。おめでとうございました。

<22年4月 昇級試験>
 神戸市立中央体育館と東町小学校で昇級試験が行われ、小窪稜生さん,畑中康汰さん,吉川太惺さん,和田悠杜さんの4人が8級,市川慧さん,川田莉紗さん,小窪栞菜さんの3人が6級、川田怜奈さんと松口幸ノ介さんが5級に合格しました。おめでとうございました。

<21年10月 昇級試験>
 神戸市立中央体育館で昇級試験が行われ、川田莉紗さんが7級、川田怜奈さんと松口幸ノ介さんが6級、福間哲太さんが4級に合格しました。また,11月には東町小学校で昇級試験を行い,秋田茉夏さん,本洋介さん,仁賀悠斗さん,松口真太朗さんがそれぞれ3級に合格しました。おめでとうございました。

<21年10月 キッズ交流会>
 10月23日に海外支部との合同キッズ交流会があり3人が参加しました。当日は歌を歌ったりダンスをしたりして楽しい時間を過ごしました。

<21年4月 中学生になりました>

 21年4月から,少年部の4人が中学生になり,一般の部となりました。今は3級受験に向けて練習に励んでいます。小学生も8人に増え,大人の練習生が1人,現在,指導者を含めると16人が在籍しています。

<21年2月 昇級試験>
 神戸市立東町小学校体育館にて昇級試験が行われ、1年生と3年生各1人は8級、4年生の1人は5級に、6年生の4人は4級に合格しました。おめでとうございました。

<20年2月 宗道臣塾修了生ミーティング>
 東京の西品川道院を会場に、宗道臣塾の修了生の集いが行われました。宗道臣塾とは「私の中で開祖が生きる」を一貫したテーマにして、少林寺拳法開祖 宗道臣の志を継ぐために、今、自分たちは何ができるだろうか?を問い続けようとする思いを持った拳士が集い、話し合ったり意見交換をしたりして学んでいる塾で、支部長も1期生として参加しました。
 今回は、はじめに第二世師家 宗由貴塾長から「運動体のあるべき姿とそこに至るまでの実践」と題して師家在任中を振り返っての講話がありました。続いて、修了生から塾終了後から始まったそれぞれの実践活動についての発表が行われ、さらにそれを受けて「これからの5年間社会に求められる運動とは」をテーマにした全体討議が活発に行われました。最後に、宗昂馬 第三世師家から「使命を果たすために」と題した講話が行われ、終了しました。
 この修了生ミーティングは、毎回、宗由貴塾長はもとより、欠かさず参加しておられる顧問の鈴木義孝先生や参加者の皆さんが、それぞれの熱い思いを語りあうことで、これからの自分にとっての指針とエネルギーを得ることのできる大切な場になっています。

<19年10月 神戸市大会>
 総合運動公園のグリーンアリーナのサブ体育館で神戸市大会が行われ、支部からも3年生が2人、5年生が3人参加しました。当日は高校生によるエキシビジョン等もあり、みんなとても真剣な表情で見ていました。
 本支部の部員にとっては初めての大会で、みんな「見習い」資格での参加でしたが、それぞれがとても充実した演技を披露し、3年と5年各1人が予選を突破して本選に出場することができました。

<19年9月 神戸市立葺合高等学校での合同練習会>
 神戸市立葺合高等学校で、少林寺拳法神戸連合会理事長の八木康光先生の指導の下、葺合高等学校少林寺拳法部ならびに神戸東道院との合同練習を行いました。
 葺合高等学校の少林寺拳法部は全国大会にも出場するとても練習熱心な高校です。
 当日は作務から始まり「鎮魂行」とレク的な要素を取り入れた準備運動をみんなで楽しみながら行った後、基本として振子を使った受けや突き蹴りの練習を行い、それに引き続いて「天地拳一系」という技を、高校生のお兄さんやお姉さんたちに本当に手取り足取り親切に教えてもらいながら、最後はそれを「単独演武」という形で発表しました。
 高校生の皆さんは、みんな本当にきびきびと元気よく活動に取り組みながらも、小学生に教える時にはニコニコと明るい笑顔で指導していて、本当に見ていて気持ちが良かったです。素晴らしい部だなと思いました。
支部長コラム 少林寺拳法の理想郷とアドラー心理学の共同体感覚
〈第10話 主体的・対話的な学び 23年8月15日〉
 太平洋戦争終結から78年目の夏を迎えました。今の子どもたちにとっては78年という歳月は余りにも遠く,70年代の高度成長期に子どもであった私たちの世代が日清戦争や日露戦争を遠い世界の話と感じたと同じくらいの時間が流れていると考えれば,実感として意識しなさいと求めることの方が無理なのでしょう。ですが,ロシアとウクライナの戦争を出すまでも無く,今日でも国家間の戦争や地域紛争は決して遠い世界の話ではなく常に隣にある危機であり,私たちは,同じ共同体を構成する“隣り人”としてそれに対してどう関わっていくべきかは,理想郷としての共同体建設を目的とする少林寺拳法を学ぶものとして,常に意識しようと言い続ける必要があるように思います。
 さて,陸軍の軍人であった今村均という人を知っていますか?彼は日本が守勢に立たされた戦争の中期以降,東南アジアからオセアニア方面を守備する第6方面軍の司令官に任じられ,有名なラバウル(現在のパプアニューギニア)という所を根拠地にして,1945年の終戦までそこを部下とともに守り抜きます。彼は,赴任当初から戦争の趨勢を冷静に判断しており,制海権や制空権の喪失から次第に日本からの物資輸送が困難になることを予測し,(どころか,将来的な日本の敗戦も予測し)自分の方面軍だけで自給自足体制を構築することが急務であると考えます。そして,そのために彼が何をしたかというと,部下たちに対して体制構築の重要性を説き,その目的意識を統一したうえで,担当する部署ごとにそれぞれがそのために必要な具体策を考えるように指示したのです。そしてそこから出てきた多様な意見が実行に移されます。そこには軍人のリーダーシップにありがちな命令‐盲従の上位下達関係(この関係がどれほど多くの避けられたはずの犠牲を生んだかは言うまでもないことでしょう)ではなく,部下(メンバー)に対して目的を明示し,それに対して主体的に関わることを求める,言い換えれば正しい意味での責任を求める協同的なリーダーシップが表れています。
 現在,学校教育の現場では,学習指導要領に示された「主体的・対話的な学び」が大きなキーワードになっています。ですが,ひとつの共同体社会として学級や学年,あるいは学校をみた場合,主体的で対話的な学びとは,その集団を構成する子どもたち一人ひとりが,自分たちの集団を「共同体」として捉え,そこで起こる様々な問題に対して主体的に関わり,誰一人排除することなく,話し合いによって解決していくプロセスであるということに尽きます。そして,それは今更新しくキーワードになるような話ではなく,「共同体感覚」を目標とする集団であれば,普通に行われてきた(いる)ことであるはずです。共同体“建設にまい進する”と日々誓っているはずの私たち少林寺拳法の拳士にとって「主体的・対話的な学び」なんて何をいまさらと言えるようになりたいものだと思います。

〈第9話 あえて二兎を追う 21年1月1日〉
 少林寺拳法の開祖 宗道臣が少林寺拳法を創始したのは、太平洋戦争の敗戦によって、人心の荒廃した日本の姿を見て、青少年育成の急務であることを痛感したからでした。そして、少林寺拳法の修練はその手段として(開祖自身の言葉によれば、有為の青少年を集めるための“エサ”として)始められました。ですが、「手段はしばしば目的化する」と言われるように、開祖の思いはどうであったにせよ、少林寺拳法の技術自体が非常に魅力に富んだものであったがゆえに、それを学ぶ人たちが、少しでも“強く”なろうと技術習得に夢中になる(つまり、目的になる)のは、いわば必然であったと言えるでしょう。

 ですから、少林寺拳法を学ぶということには、当初から、ふたつの目的があったわけです。ひとつは、自分自身に焦点を当てて、武道としての少林寺拳法を極めようとするものであり、武道としては、むしろそれが自然な姿です。もうひとつは、自分と周囲との関係性や社会に焦点を当てて、それぞれが手を携えて平和を中心的価値とする「理想郷」実現に向かおうとするもので、これは武道団体としては、むしろ異端的な発想と言えます。他の武道を極めようとする立場から、時として少林寺拳法に対して、その実力や立ち位置の分かりにくさを揶揄するような言説があるのも、この異端的な発想に対する違和感が根底にあるからなのでしょう。いわば、少林寺拳法は、創立当初から「二兎を追っている」と言えます。
 一般に、「二兎を追う」とは、あまり良い意味で用いられません。どっちつかずになって、結局は両方を失うことになる場合に用いられます。ですが、開祖は、あえてその難しい「二兎を追う」ことを選んだように思います。(開祖が、部外者から見ると、時として“分かりにくい”と感じさせるのもそれが原因であるように思います。)そして、部内にあっては、時としてその二兎が離れていきがちになるのを諫め続けました。なぜなら、開祖の目からは、その二兎はやがて一兎に収斂すると見えていたからです。

 昨今、武道を含む青少年スポーツの世界で、「非認知能力」を育てることの重要性が語られることがよくあります。非認知能力とは、認知能力が知能や学力を指すのに対して、それ以外の能力を意味するもので、要は、意欲や人に対する共感性、協調性、社会性などを指します。まとめて「社会力」と言ったりもするようです。人が社会で生活していくには、学力だけではダメであって、そういう「非認知能力」の裏付けがなければいけない。そして、武道やスポーツには、そういう「非認知能力」を育てる意味があると言うわけです。それ自体は、まったくその通りで、各種スポーツ団体もようやく社会とのつながりの重要性に目を向けるようになったと言うべきなのでしょう。
 ですが、少林寺拳法の立場から見れば、開祖は70年以上前に既にそこに気が付いて、集団を組織しようとしたわけであり、しかも、育てた「社会力」は、理想郷実現のために用いなければ意味はないのだと、その目的を明らかにしていたわけです。つまり、少林寺拳法の二兎は、やがて大きな一兎に収斂するということを信じていたわけです。

 人は目の前を行く人は理解できても、何歩も先を行く人を理解できないとよく言います。先覚者は、時として人に十分には理解されないがゆえに嘲笑の対象になることがあることは、歴史を紐解けば、いくつもその例を挙げることができます。開祖は、ある意味、その先覚者であって、先を進みすぎていたのかもしれません。開祖の云う「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」も、そういう少林寺拳法の在り方を端的に表現したものであり、自己の幸せという半月と、他者の幸せという半月を合わせることで、人は満月という「社会的存在」になると説いているように思います。
 だとすれば、ようやく時代が開祖の発想に追いつこうとしている今、私たち少林寺拳法を学ぶものは、臆することなく「二兎を追う」べきではないでしょうか。

<第8話 いのちをつなぐこと 志をつなぐこと 20年9月1日>
 旧約聖書には、神は土をこねて人の体をつくり、それに自分の息を吹き込んで人が生まれたという記述があります。人は死ねば土にかえります。では何も残らないのかというと、体は元の塵にかえるわけですが、神が吹き入れた息吹、言い換えれば“いのち”は残るわけです。人は、親から子へ、子から孫へと命をつないでいくわけですが、キリスト教の信仰からすれば、その命とは単に遺伝子を継承するといった生物的なものではなく、神の息吹をずっとつないでいくことを意味するのでしょう。そして、たとえキリスト者でなくても、自分には自分の親の息吹が、そしてそのまた親の息吹が…と過去に生きた多くの人々の“いのち”が吹き込まれていると自然に感じているのではと思います。
 
 さて、私たちは、少林寺拳法を修行しているわけですが、少林寺拳法を修行するとは、単に武道としての技法に習熟するということではなく、開祖 宗道臣が私たちに吹き入れた息吹、言い換えれば、その志をつないでいくことを意味します。開祖が少林寺拳法を創始した動機には、戦前から敗戦後にかけての世の中の在り様が大きく関わっており、「平和な世の中の実現」がその目的の一つであったことは言うまでもありません。今年は、戦後75年の節目の年にあたります。今の平和が、おびただしい人たちの“いのち”と引き換えに得られたものであることを心に刻み、“二度と戦争のない平和な世の中を”という先人の息吹をつないでいく不断の努力を忘れてはならないと思います。

<第7話 クリティカルシンキングと開祖の志 20年8月5日>
 大阪府の吉村知事が、コロナウィルスとイソジンなどのうがい薬の関係について会見で述べたことが、様々な波紋を呼んでいます。その発言は、医学に素人の目から見ても、短絡的に受け取る人は“新型コロナ肺炎がうがい薬で治る“と誤解するだろうなと思う内容なのですが、発言にあおられた結果、今度はうがい薬が買い占められたりする騒ぎになっているようです。
 これに限らないのですが、今回のコロナだけでも明らかなウソとは言わないまでも根拠の薄い言説がいくつも飛び交いました。中には、“お湯を飲めば予防できる“というお気楽な説もありました。ただ、これらの話に跳びつく人を決して揶揄するつもりはありません。人間だれしも、不安に駆られれば、“藁をもつかむ”心理状態になることは無理もないことだからです。
 
 さて、「クリティカルシンキング」、日本語に訳すと「批判的思考」という言葉があります。批判というと、どうしても“否定する“といった意味合いに受け取られがちですが、元々は、物事を“熟慮して正しく判断する”という意味であって、そこにはイチャモンをつけるといったニュアンスはありません。つまり、「クリティカルシンキング」とは、何かに直面した時に物事を鵜呑みにするのではなく、いったん立ち止まって、それが本当にそうなのか多方面から客観的に検討し、熟慮して論理的に判断することを言います。
 さまざまな場面を通じて、子どもたちにこの「クリティカルシンキング」を育てることの重要性は教育の世界でも以前から指摘されていて、心理教育の一環として計画的に取り組んでいる学校も一部にはあるようです。
 
 今回の大阪府知事の発言にしても、手洗いするときに単に水で洗うよりは石鹸を使ったり指先を消毒したりする方が良いように、うがいにしても、水でするよりもうがい薬でする方が殺菌効果はあるでしょうから、口の中の菌が減ることは自明のことです。感染症予防にうがい手洗いの重要性は既に周知のことですから、人にうつす可能性を低くするという意味では、その発言は当たり前のことを述べているにすぎません。
 だからと言って、うがい薬を使えばコロナが治るかのように誤解されかねない発言を不用意にすることは問題でしょうし、うがい薬を使いすぎることは、かえって健康に良くない影響を与えるだろうとも思います。つまり、今回のような発言に対しては、鵜呑みにするのではなく、熟慮して冷静に判断する「クリティカルシンキング」が必要なのです。
 
 私たち日本人が、総じて“お上”のお達しに対して従順で同調性が高いということは、よく言われることです。今回のコロナでも自粛要請にほとんどの日本人は素直に従いました。その反面、“熱しやすく冷めやすい”その国民性は、物事に対処するときに思考が極端に振れる「白黒思考」「0か100か思考」に陥りがちで、“自粛警察”と言われる過剰な反応が見られているのも事実です。ですが、“真理は極端にはなく、その間にある”と言う意味のことは、ギリシャ哲学でも、儒教でも、仏教でも、繰り返し述べられています。
 
 少林寺拳法では、「自己確立」を修行の大きな柱のひとつとしています。その「自己確立」とは、格闘術に長けた人間などといった意味ではなく、付和雷同する人間ではなく、自分自身で考え正しく判断する人間を育てることが、この世の中の平和と幸福につながるという開祖 宗道臣の強い思いがそこにはあります。少林寺拳法を学ぶということは、常にその開祖の志を継いで行こうとする不断の努力を忘れないという意思表明でもあるのです。

<第6話 「社会的距離」と呼ぶことへの疑問 20年7月1日>
 新型コロナウィルス感染症対策の一環として「社会的距離(ソーシャルディスタンス)」という言葉が一般的に使われるようになりました。感染症予防というその目的には何ら異議はないのですが、その距離のことを「社会的距離(ソーシャルディスタンス)」と呼ぶことには、多少の違和感があります。なぜなら、人と人との間に2m程度の距離を取らないといけないというのは、あくまで感染症の予防に必要な距離、言うなれば「防疫距離」であって、むしろ社会的な結びつきを心理的にも断ち切る距離だろうと思うからです。
 
 言うまでもないことですが、人は一人で生きているのではありません。個々の人が有するパーソナルスペースをお互いに尊重しつつ、時には相手に踏み込むことで、お互いに適切なコミュニケーションを取りあって社会を構成しています。その時にお互いがとるべき距離が、本来の意味での「社会的距離」だと思います。つまり「社会的距離」とは、人と人とを“社会的に結びつける距離”のことでしょうから本来もっと短いはずです。そういう意味で、現在「社会的距離」と呼んでいるものは、本質的には、むしろ「反(非)社会的距離」なのではないでしょうか。今の社会状況から、お互いに距離を取ることの必要性は認めつつも、現在の用法で「社会的距離」という用語が定着することには多少の疑問を感じています。

 よく言われることですが、最近の小さな子は「知らない人とお話ししてはいけない」と教育されるそうです。ですが、社会性を含む「生きる力」を身につけないといけないことからすれば、逆に、知らない人とは話してみないと、その人がどういう人か分からないわけで、そういう経験を積まないと、危険を予知することはできませんし「生きる力」も身につきません。
 相手を知らないならば、むしろ積極的にコミュニケーションを取ることで、相手が自分に対してどういう存在なのかを推し量る力が「生きる力」でしょう。ですから、せめて、挨拶くらいはしなければいけません。これが適切な社会的距離であり、対人関係における間合いでしょう。そのうえで、見知らぬ人にむやみについていってはいけないと教える必要があります。

 そういう意味で、今、「社会的距離」と呼ばれているものは、「知らない人とは話してはいけない」と同じ、極端な“0か100か思考”に陥っているように思います。そういう中間思考を認めない極端な思考をすることが、パーソナリティ障害の要件のひとつですが、コロナ感染者への異常なバッシングを含め、この社会全体がパーソナリティ障害化しているのではないでしょうか。

<第5話 “集団ヒステリー”の国 連帯とは何か 20年5月1日>
 コロナ新型肺炎による社会の混乱が続いています。その中で、4月のコラムでも指摘していたように、社会を分断するかのような感染者を一方的に非難し排除しようとする言動が目立つようになってきました。

 少林寺拳法の創始者 宗道臣は、周囲の空気にすぐ同調するもののお互い対等な関係での連帯感に乏しい日本人の性向を“砂のような”と表現しました。このことは現代社会の持つ心理特性としてほかにも同じような指摘があるのですが、“砂のような”というのは、つまり、一見、濃密な関係でありながら、粒子が細かいため息苦しい関係になりやすく、それでいて、いざと言う時にはサラサラとこぼれ落ちてしまって結びつこうとしないという傾向を意味します。

 このゴールデンウィークを前に、“うちの県には来ないで”という趣旨のメッセージを発した知事が何人かいました。そのことの是非はともかく、中には、高速道路のインターチェンジ閉鎖に言及した知事もいたようですが、人の流入はともかく物流を妨げることは、結果として自分たちの首を絞めることになることに思いが及ばないわけです。そこにあるのは、物事を多角的に見る目、俯瞰して見る目を失った姿、言い換えれば「想像力の欠如」と言うしかありません。
 
 また、感染者のみならず、今回の事態に最前線で立ち向かっている医療従事者とその家族に対してまで排除や誹謗中傷が広がっています。故 司馬遼太郎は、日本人が大きな困難に直面した際に示すこのような反応を“集団ヒステリー”と表現しました。この“集団ヒステリー”状態は、日本の歴史において過去に何度も見られるもので、大きな被害を国内外の人々に与えたことはいくつもその例をあげることができます。ふだん、従順で同調性が高い反面(あるいは、それゆえに)いったん、その集団の中で波風を立てると、それがその人の責任であろうとなかろうと過剰に攻撃してやまないというその国民性に対する懸念…。言葉は違えど、司馬遼太郎と宗道臣は同じものを視ていたように思います。日本人は、また同じ間違いを犯しつつあるようです。“お上”には逆らわず、むしろその意向を過剰に“忖度”することで、自分を「正義」の立場に置く一方で、内心に渦巻く不平・不満の矛先を、本来、連帯すべき「仲間」に向ける。その危うさは、ある意味、感染症以上のものがあるのではないでしょうか。このことは、心理的には、日本人の「自我」の弱さからきているように思います。あるいは「強迫性」のパーソナリティと言っても良いかもしれません。
 
 一方、苦闘を続けている医療従事者に対する応援メッセージもあちこちから聞こえるようになってきました。そのこと自体に何ら異議はないのですが、自分は安全な場所にいて、ただ声援だけする「観客」で良いのでしょうか?今、テレビドラマ「仁」の再放送を見ています。その中で登場する人々は、様々な苦難に立ち向かう中で、常に自分の身に痛みを引き受けながら行動しようとします。本当に連帯を志向するなら、自分ができる範囲で何か具体的な行動を取るべきだと思います。開祖 宗道臣は、少林寺拳法は常に「行動する集団であれ」と説きました。あなたにできることは何なのでしょう?

<第4話 新型コロナウィルスと共同体感覚 20年4月1日>
 今、全世界で新型コロナウィルスの感染者数が日々増大し、世の中はパニックといった様相を示しています。そして、各自治体や企業に限らず、あらゆる大小の組織は、このウィルスがいつ自分たちに飛び火するかと戦々恐々とし、毎日のニュースを見ては(ああ、今日もうちのところは大丈夫だった)と内心胸をなでおろしているに違いありません。また、それぞれの組織を構成する一員として(自分がこの組織の中で第1号になったらどうしよう)と内心不安に思っている人も多いのではないでしょうか。
 ですが、この「うちの組織から感染者を出したくない」や、組織の構成員として「仲間内から非難を浴びたくない」「白眼視されたくない」という心理が行き過ぎると、いざ実際にその組織から感染者が出た場合、その人に対する過剰なバッシングにつながるだろうことは容易に予想されます。実際、そういうバッシングはあちこちで現実に起こっているに違いありません。もちろん、事が人の命に係わることである以上、細心の注意を払うべきことはもちろんであり、どこかであったようにわざと周囲にウィルスをばらまくような行為は論外であること言うまでもありません。ですが、その一方で一定以上の注意を払っていても感染する人が多くいることも事実です。
 「うちの組織から感染者を出したくない」「バッシングを受けたくない」という自己防衛の心理は、容易に「うちさえ良ければ」という心理につながり、不幸にしてそこからはみ出た者を白眼視することにつながります。ですが、ウィルスに感染したくて感染した人などいるわけがないのですから(確かに、感染例を見れば軽率な行為の連鎖の結果である場合もあるのでしょうが)過剰に「うちのメンバーは罹患するなよ」といったメッセージだけを発信し続けることは、そこに所属する人の心理的な萎縮を生むだけかもしれません。また、実際に感染してしまったときに、その感染を隠そうとして、結果として感染を拡大してしまうことにもなりかねないように思います。

 もはや、感染対策の注意喚起、啓発の時期は過ぎています。誰が感染してもおかしくない状況にある以上、今、必要なことは、単に「うつるな」「うつすな」というメッセージではなく「連帯」のメッセージであり、人と人とをつなぐ行動であるはずです。だから、不幸にして感染した人を共同体の外に追いやるような言動をするのではなく、明日になれば自分も感染するかもしれないという気持ちで行動する必要があります。なぜならば、このウィルス感染は、この社会、この日本、この世界の中で起こっていること、すなわち、みんなにとっての共同体で起こっていることであり、決して自分にとって外の世界で起こっているわけではないからです。だとすれば、大切なことは、感染者を「排除」することではなく「治療」することであるはずです。

 過去の感染症の歴史を振り返れば、今回のコロナウィルスも少なくとも人口の1割以上、最終的には人口の約半数が感染する可能性があります。それを考えれば、単に「うつらないこと」「うつさないこと」と言い募るのではなく、自分や周囲の人が感染してしまうことも想定に入れて、その上で心理的安定を保ちつつ、どう冷静に対処するかを考える方が建設的と言えるでしょう。それが組織としての危機管理です。

 「自分がうつらないように、人にもうつさないように注意をしよう」と言うのは正しいことです。ですが、それに加えて「でも不幸にしてうつってしまったとしても、あなたは私たちの一員だから大丈夫だよ」と呼びかけるような集団で私たちはありたいと思います。なぜなら、私たちは一つの共同体で生きているのですから。

 少林寺拳法の開祖 宗道臣は、日本人の示す周囲からの同調圧力に弱い反面、真の連帯感が希薄な国民性に道を誤る原因があるとして警鐘を鳴らし続けました。このコロナ禍を分断の材料にするのか、それとも連帯の材料とするのか、少林寺拳法に限らず、あらゆる組織は共同体としての真価を問われているように思います。

<第3話 失敗させない教育の愚かさ 20年2月1日>
 この20年ほどの教育の動きで最も愚かだったのは、学校の教員や保護者の間に「失敗させることは悪いことだ」という短絡的な発想が広まったことでしょう。
 本来の学校教育の趣旨からすれば、つまり、世の中の仕組みや物事の道理を教えることで社会に適応できる力(すなわち「生きる力」)を身につけるのが学校教育だとすれば、失敗した時にどう心理的な安定を保ち、どう合理的に対処するかを教えておかないといけないのですが、(そのためには、むしろ失敗を経験しておく必要があります)とにかく成功体験だけさせて、失敗させないようにすることが良い配慮であるという愚かな言説がむしろ声高に叫ばれた結果、子どもがつまずく前に、その「つまずきの石」をすべて取り除いてあげるのが良い指導者の在り方であるという間違った姿に縛られている教師や保護者が多くいます。

 必要なのは「フェイル・セーフ」、つまり、あらかじめ失敗することも考慮に入れつつ「うまくいかなかったらどうしよう?」と事前に考えておき「でも大丈夫」と思えるように自分を整えておくこと、つまり「失敗に備える力」を身につけることです。そのことと失敗自体させないこととは、似ているようで根本的な発想に大きな違いがあります。そもそも、人が学ぶのは失敗からであって、成功からではありません。失敗は増えれば増えるだけ、成功への道筋が明確になっていきます。逆に、成功体験は、成功に依存することで、むしろ、その後のその人の行動を心理的にも縛ってしまう場合が多いでしょう。あの時はあれで成功したという成功体験が心理的依存を生み、その後の取り返しのつかない大きな失敗を招くことがあることは、戦前の日本の例を見るまでもなく歴史を振り返ればいくつもその例が指摘できます。

 また、成功体験しか知らず褒められることばかり経験してきた人は「成功する、褒められる自分」を守ろうとして、失敗するかもしれない困難な事柄を避けようとするかもしれません。また、実際に失敗した時には、その失敗を隠そうとするかもしれません。長い目で見れば、そういう心理がマイナスであることは言うまでもないでしょう。

 「失敗をさせてはいけない。なぜなら、失敗は自己肯定感の低下を招く」という一見(一聞?)もっともらしい言葉の裏には、自分は過去に失敗体験をしたことがない人が過剰に失敗を恐れる心理が隠れていないでしょうか?または、過去に失敗した時に自己肯定感が低下するような扱いしかしてもらえなかった人の否定的な思い込みがありはしないでしょうか?必要なのは、失敗した時に、それを一緒になってカバーしてくれる仲間を育てること、言い換えれば「共同体意識」を育てること。そういう意味では、学校教育や社会教育とは「仲間づくり」の事に他ならないと考えます。

 失敗しても大丈夫。なぜなら、周囲の人は、そういう自分をきっと支えてくれるから。だから、一歩前に足を踏み出してみよう。そして誰かが失敗した時には自分のできる範囲で手を差し伸べよう、と考える個人なり集団なりを育てていかなくてはいけないでしょう。それに対して、失敗させないことを最優先する教育は、失敗を過度に恐れる心理しか生まないでしょうし、それでも失敗した時に、すべて自分の責任だと考えて立ち直れない人間を生むだけではないでしょうか?また、自分が失敗したことがない人間は、誰かが失敗した時に、共感し手を差し伸べようとするでしょうか?自分には関係のないことだと思わないでしょうか?誰かが転んだ時に、手を差し伸べようとせずに、すべてその人の自己責任だから自分で何とかするべきだと考える世の中は、きっと息が詰まってしまいます。
 
 少林寺拳法は、修練のたびに、他者と連帯し、この世の中を「理想郷」に変えるために最善の努力をする、と唱えます。その「連帯」とは、自分にとって都合の良い時だけのつながりではないでしょう。たとえ誰かが失敗しても、それを見捨てず、できる範囲で手を差し伸べる。少林寺拳法は、そういう人間関係を育てる場でありたいと考えます。「理想郷」は永遠にたどり着かないユートピアではなく、「今、ここ」にあるべきものだと思うからです。


<第2話 共同体感覚と少林寺拳法の理想郷建設 19年12月1日>
 アドラー心理学では、人生において「共同体感覚」を持つことが大切であると考えます。共同体感覚とは、周囲の人間のみならず、周囲にあるもの全ては、自分の「仲間」であり、自分はその共同体の一部であるという考え方、受け止め方を意味します。

 人は、えてして、自分の周辺にあるものを、自分にとって「味方か敵か」とか、「仲間かそうでないか」といったように線引きして考えがちです。ですが、いったんそういう線引きがなされると、思考が固定化されてしまい、「敵は排除、攻撃すべきもの」であり「味方は(理非善悪に関わらず)かばいあうもの」という発想になってしまい、全てが人間関係で判断されてしまうことになります。
 「仲間は助け合わなければいけない」と考えるのは、当然のことだと思うかもしれませんが、いったん、「仲間」と認定されたら無原則に(例えば、「仲間」に非があっても)支えあうというのは、時として大きな過ちをおかすことにもつながります。アドラーは、どうするべきか行動に迷ったときは、より大きな共同体を意識して判断するべきだ、と説きました。

 そもそも、人が周囲を線引きして、二分化するのは、その方が分かりやすいからであり、自分がそのどちらかに所属する(多くは、その線引きの内側に自分を置く)ことで安心するからでもあります。そういう意味では、線引きすることは、人間の本能なのかもしれません。線引きを否定して、周囲にあるもの全てが自分の「仲間」であると言われても、あまりにイメージとして漠然としていて、理想はそうなのかもしれないけど…というのが本音のところでしょう。アドラーも、「共同体感覚」を永遠の理想と考えました。ですが、永遠の理想ということは、単なるユートピア、つまり永遠に達成できないものだと心のどこかで考えているかぎり、それはどこまで行っても単なるスローガンに過ぎなくなります。

 少林寺拳法では、鎮魂行の「信条」の最後で、平和な社会の確立を目指し、仲間と連帯して、言い換えれば「共同体感覚」を持ち、「理想郷建設に邁進す」と毎回唱えます。それが、単なるスローガンに終わらないためには、その仲間づくりが会員を増やして少林寺拳法という枠の中に囲い込むことだと考えていたのではだめだということになります。なぜなら、それでは単に少林寺拳法という線を使って、内と外に二分化するだけのことだからです。少林寺拳法の考える「理想郷」は、少林寺拳法の内に作るものではなく、少林寺拳法を修行する人とそれ以外の人との連帯によって、この社会に作り上げられるべきものです。そこでは、内と外といった線引きは必要なくなります。また、仲間と連帯し、みんなが「共同体感覚」を有する理想郷にたどりつくことをもって修行の目的と考えると、修練の大半(いや、すべて)が、たどりつくまでの「過程」と言うことになります。つまり、理想は理想であって、いつまでたってもたどりつかないものと考えると、少林寺拳法の修行はすべて途中経過で終わってしまうことになるのです。

 では、どう考えるべきなのでしょう?「共同体感覚」は、実はすべての発想の前提であると考えるべきなのです。つまり「共同体感覚」を持つことは、永遠にたどり着かない理想なのではなく、今、自分が属している集団や社会において、いつも「共同体感覚」を持って人と接していく、言い換えれば、自分が存在している“今、ここ”を「理想郷」であると考えて行動することが必要なのです。「理想郷」は頭の中に作るものではなく、自分が現実に生きている、この世の中に作らなくては意味がないものなのですから。

<第1話 少林寺拳法とアドラー心理学の共通点 19年10月1日>
 近年、アドラー心理学が改めて注目されるようになってきました。数年前には、アドラー心理学者である岸見一郎さんと古賀史健さんによる「嫌われる勇気」と言う著作が大きな話題になりました。このアドラー心理学は、A.アドラーというオーストリアの精神科医による心理学で、本来は「個人心理学」と言うのですが、その呼び方ではアドラーの考え方がうまく伝わらない面があって、最近はそのままアドラー心理学と呼ぶのが一般的になってきています。

 さて、このアドラー心理学と少林寺拳法には、実は基本的な考え方に深い共通点があります。アドラー心理学の根本理念は、「自分の人生の主人公・責任者は自分である」ということですが、これは少林寺拳法の目的である「揺るぎない自分を作る」すなわち『自己確立』と同じ意味合いを持っています。アドラーは、人は常に『優越性の追求』、つまり「優れていよう」として生きているとし、これが不健全な方向に向かうと「劣等(優越)コンプレックス」を生むと考えました。ただ、アドラーのいう『優越性の追求』は、他者との比較ではなく理想の自分との比較、つまり「向上心」を意味します。言い換えれば、人は周囲と競争をして生きるのではなく、今の自分を顧みて少しでも理想とする自分に近づこうとして生きていると述べたのです。そこでは、周囲の人は、競争相手でもなく倒すべき敵でもない、時として自分の姿を映し出す鏡となって行動を修正してくれる仲間ということになります。これは、仲間との修練によって揺るぎない自分を作り上げていき、『自己確立』を図るという少林寺拳法の目的と符合しています。また、アドラーは、人が他者の期待に合わせて生きることや賞罰による教育を否定しました。それぞれが主体性を持って、自分自身の人生を生きることが大切であって、他者と比較して褒めたり罰を与えたりして人をコントロールすることは間違っていると考えたのです。このことも、試合によって優劣を決めようとしない少林寺拳法の在り方に合致します。

 さらに、アドラーは、自立した生き方を説く一方で、周囲を線引きして仲間と敵に分ける発想を止めて、周囲のすべてを仲間として考える『共同体感覚』を持つことが人生の目的であり理想であると説きました。つまり、主体的に生きることを勧めながらも、それに留まることなく、その主体的な生き方をする人間同士が互いに連携し、常に周囲に対して能動的に関わり、社会に対して貢献感を持つことが健全な生き方であると説いたのです。これは、まさに少林寺拳法の『自他共楽』そのものであり、開祖の言う「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」と同じ生き方であると言えるでしょう。

 このように、アドラーの思想と少林寺拳法の思想には、個人に焦点をあてながらも、それと同時に、常に社会に目を向けて能動的に関わろうとする共通点があるのです。





少林寺拳法 神戸学園東町スポーツ少年団支部
神戸市立東町小学校体育館(〒651-2102 兵庫県神戸市西区学園東町5-5)
☎ 090-4901-3421

勇気づけ
 アドラー心理学では、人を褒めたり罰を与えたりすることは、基本的に上下関係に基づく発想であって良くないことであると考えます。

 それに対して、お互いが対等の存在として、相手に対して感謝やねぎらいの言葉をかけることを「勇気づけ」と呼びます。

 少林寺拳法の礼法でも、お互いが対等の立場に立って相手を尊重することを表す「合掌礼」を採っています。そこには、常に相手を「仲間」と考え敬意を払うという共通した考え方があるのです。
劣等コンプレックス
 似た意味合いの言葉に「劣等感」がありますが、それが自分の未熟さに気づいて努力しようとする向上心につながらず、人や理想の自分と比較して、自分はダメな人間だと決めつけてしまう心の状態を「劣等コンプレックス」と呼びます。
共同体感覚
 周囲にある人やモノすべてを自分を基準にして仲間と敵に線引きし、内にある仲間だけを大切にするのではなく、宇宙にあるすべてが自分の仲間であり、自分もまたその共同体の一部であると感じることを「共同体感覚」と言い、アドラーは、健全な心の在り方の前提と考えました。